夢現(夜昼)


今は未だぼんやりと
伝わるぬくもりに微睡み、触れえぬ時を想う
夢と現の狭間でその姿を見つめる―…



□夢現□



さわりと庭の垂れ桜が静かに揺れ、はらりと薄紅色の花弁を落とす。

瞼を閉じ、うとうとと…
この身を包む温もりに微睡んでいた小さな影は仄かに揺れた空気を感じとり、ふるりと瞼を震わせた。

《……?》

垂れ桜の枝に腰かけたその人影は己の右胸にそっと右手をおしあて、ゆるりと開けた金の目を、庭と母屋を区切る縁側へ移す。

己一人しかいないはずの場で、母屋の障子がすぅっと勝手に横へと動いた。

続いてふわふわとした柔らかそうな栗色の頭がちょこんと出てきて、きょろきょろと左右に振られる。

《来ちまったのか…》

一方的に見知っているその小さな姿に、桜の枝に腰かけて見下ろす人影は困ったように呟いた。

部屋から覗いたその小さな頭は、近くに誰も居ないことを確認したのか、廊下に姿を現す。

「だれも…いない…」

そして、ポツリと溢された声に呼応する様に、この身を包んでいた温もりが温度を無くしていく。

《……っ》

いつもなら夜中でも賑やかな母屋が静まり返っている事に戸惑い、寂しく、怖くなってきたのだろう。

「ふぇ…っ、おとうさん、おかあさん…、おじーちゃ…」

大きな瞳にじわりと涙を溜めて、両親と祖父のいるだろう方へと廊下を歩き出す。

しかし、ここには己と目の前の子供しか存在しない。

子供が泣き出した辺りからつきり、つきり、と痛み出した胸元を押さえ、人影は怖がらせぬよう桜の木の上から優しく声を落とした。

《…泣くな昼。ここには怖いものなんてねぇ》

「!?」

びくっと肩を跳ねさせ、振り返った子供の目は真ん丸で、驚きに涙も止まってしまった様だった。

「だれか、いるの?」

《…お前は一人じゃねぇよ》

向こうからでは桜に遮られて己の姿は見えない。

「ねぇ、どこにいるの?」

きょろきょろと顔を動かして一生懸命探してくれるその姿に、ふっと表情を綻ばせ、痛みの止んだ胸から側に咲く桜に手を伸ばした。

細い枝に指をかけ、パキリと桜の咲く枝を折る。

そのひと枝を、はらはらと舞う桜に混ぜて、子供の足元へと飛ばした。

ポトリと上から落ちてきた桜のついた枝に、きょとりと子供が瞬く。

《…まだ知らなくて良い。もう少し大きくなったら、な》

「え?」

《ほら、もうすぐ夜が明ける。そろそろ現へと戻れ》

その声に、はらはらと舞う桜が空気に溶け、垂れ桜と周りの景色が遠退く。

「あっ、な…に…?」

眩い光にぎゅっと目を瞑り、パチリと開ければ、目の前には見慣れた高い天井。賑やかな声。

「あれ…?」

リクオは不思議そうに体を起こして、光の射し込む障子を見た。

「…?…なんだっけ?」

なにか夢を見たような気がするけど思い出せない。

こてっと首を傾げ、そこでリクオは布団の側に桜の花がついた枝が落ちているのに気付いた。
その枝をジッと見つめ、大切な物に触れる様に拾い上げる。

「ぁ……」

枝に触れた途端ぼんやりと思い出した夢に、何故だか胸がほわほわと温かくなって、自然と表情が緩んだ。

「えへへ…」

手にした桜をそっと両手で包み、胸元に抱く。

「入るぞリクオ」

そこへリクオを起こしに鯉伴がやって来た。

「おっ…、起きてたのか」

部屋へと入った鯉伴はご機嫌な様子のリクオに首を傾げ、その手に握られている桜に気付くと更に疑問符をとばした。

「どうしたんだそれ?桜の季節はとうに過ぎたはずだが…」

外には強い陽射しと蝉の声。空を真っ直ぐに見上げる向日葵に、緑に覆われた桜の木。

「あっ!」

リクオは考え込む鯉伴の疑問には答えず声を上げると、さっと立ち上がり、寝間着のまま鯉伴の足元をすり抜けて部屋を飛び出した。向かう先は…。

「お母さーん!お花さすやつー」

「おはようリクオ。あら、桜?どうしたの?」

「もらったの!だからお花さすやつ!早くしないとかれちゃう!」

「はいはい、花瓶ね。ちょっと待って…。たしか向こうに」

花瓶を探しに行く若菜の後をリクオはぱたぱたと追う。胸に桜の枝を抱きながら。





ふわりふわりと…、身を包む温もりの心地好さに瞳を細める。

《会えるのはとうぶん先だと思ってたんだがな…》

何の偶然か昼のリクオはここへ来てしまった。

先ほど折ってしまった枝に触れ、ゆるりと頬を緩める。

己の存在に昼のリクオは未だ気付いていない。いや、気付かないように己が仕向けているといった方が正しいかもしれない。

未成熟な昼のリクオの心と体。四分の一とはいえ継いだ妖怪の血は濃く、時おり酷く人の血を蝕もうとする。…己にその気が無くとも。昼共々まだ幼い自分では妖怪の血を上手く制御することが出来ない。

そんな状態で、罷り間違って己が表に出てしまえば、昼の肉体を壊してしまいかねない。

故にまだ昼に会うことは出来ない。己の存在が昼を傷付けてしまっては意味がないのだ。だから今は未だ…。

一番近くて遠いこの場所から見つめるだけ。

触れていた枝から指を離し、一人。寂しいと感じたことはない。

垂れ桜の幹に背を預け、瞼を閉じる。

《嬉しい…か?》

昼が喜べばこの胸は温かくなり、悲しめば痛む。
この場を満たす温もりは昼の心そのもの。

《いつかお前が俺のことを知り、俺と会ったら…。お前は喜んでくれるか?》

心からの笑みを向けてくれるだろうか?
俺の存在を受け入れてくれるだろうか?

不安は尽きない。それでも…。
その瞳が曇らぬよう、笑顔が絶えぬよう、大切に大切に守り続ける。

《昼…》

そう遠くない未来を思う。

桜の枝を手にふわりと嬉しそうに笑った昼の姿を水面に映しながら、
夜もまた小さく笑みを溢し、優しく温かい昼の心を感じながら微睡みに身を任せた。



end



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